神野寺


五穀山 神野寺

宗派   真言宗 善通寺派

本尊   薬師如来坐像  他に不動明王立像・弘法大師坐像

 由来   神野寺は弘仁十二年満濃池再築のため帰国された空海が、池を見下ろす神野山を聖地と選び創建された寺で、満濃池の守護道場としての使命が付与されていた。そこで繁栄時の境内は、西は神櫛神社付近より、東は堂跡ケ峰にに至る一帯の広大な地域であったと言われる。

      その後矢原家の勧進を受けたことは、神野神社の灯篭の笠の銘に、神野寺の空忍和尚の記載によって明らかで、明徳四年矢原一族によって大師堂がされ、神野寺二十三世信専大和尚が奉仕した旨が、はっきりと刻まれている。天正十二年矢原家が長宗我部軍に攻撃された時、矢原一族が住職であったので、神野寺も焼き払われてしまった。

      以後神野寺は再興されることなく、昔の本尊佛 正観音立像は買田村の恵光寺に祀られ、神野寺跡は荒廃のままとなった。

      昭和七年大師会の発願で、上里法照を中心に空海生誕千百年祭の記念行事として、神野寺の再興が計画され昭和九年に堂宇が完成した。昭和三十年満濃池第三次嵩上げ工事で本堂は現在地に移築された。

      本堂の南の丘の上に建つ弘法大師銅像は、香川県出身の小倉右一郎最大の傑作で、像高3,3mの空海青年像が3mの石の台座の上に立ち、満濃池を見下ろしている姿は真に雄大である。

      銅像は青銅造りで石の台座には

          奉賛 伯爵  松平頼寿

          設計原型製作 小倉右一郎

          石工 長尾村 山下幾次郎

                    とあり昭和八年五月七日建立とある。